最速で成果がでる!超勉強法

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最速で成果がでる!超勉強法

〇東京大学も司法試験も最短期間で合格できる方法がある

この本に興味をもたれた方は心のどこかにもっと上を目指したいという気持ちを持っておられると思います。

私自身もこのような「勉強の仕方」という本を目にすると絶対に手に取って見てみます。

そしてわずかでも自分のためになると感じたら購入してしまう。

私をある種の「勉強オタク」だと思う人もいるかもしれません。

しかし30年超の期間たくさんの方法を確認し、実際に自分でやってみて、失敗しては次の方法を試すことを継続し、ついに自分だけのオリジナルの勉強の仕方を作り上げたことは私の人生を大変実りあるものにしてくれました。

それによって絶対に成果が出る「最良の勉強の規範」を身体全体で吸収することができたからです。

私は30年ほど前に大学受験に挑戦し、卒業したあとは、いったん就職したものの、仕事を辞め司法試験に挑戦し、そのチャレンジを行う中で勉強の方法論の「概要」を考え出しました。

それから、弁護士という職業についてからも仕事の能率を上げるために試行錯誤を繰返し、効率を上げるのに使えそうな諸々の道具をどんどん取り入れて技能や技術を身につけていきました。

そのような私の体験に私の一人娘と手に手を取って中学校受験に挑戦し、吹田の塾などに通った経験を交えて、この本は書かれています。

つまり今の段階で私が知り得る限りの「勉強の方法論のまとめ」とも言えるものです。

ここで私の方法論の功績をご紹介すると次のようなものです。

①10代のころ、地元高校に入り、塾の実力テストにおいては450人中60位の成績。

これでは、いわゆる一流の大学に合格するなどとてもじゃないが不可能な状況でしたが、中学時代に成績が良くなかった私としてはこの成績でも非常に満足していました。

しかし、その後、高3の時に勉強の仕方について策を凝らし、改善策を実行したところ東京大学文科Ⅰ類(おもに法学部への進学コース)と早稲田大学政治経済学部に現役で合格しました。

②大学を卒業してから、私は旧日本長期信用銀行に就職し、それから野村投信に転職しましたが、1986年(昭和61年)9月30日に退職しました。

そしてその次の日の10月1日からただちに司法試験に向けた勉強をスタートしたのです。(ほぼゼロからのスタートでした。)

次の年の5月に第一関門である「択一試験」はパスしたものの、司法試験の勝敗の分岐点である7月の「論文試験」においてB評価で不合格となってしまいました。

(それでも上位1500番の中には入っていたので、そのあと合格者が増えた時であれば合格の成績だったのです。)

その次の年はいくつもの模試で必ず上位に入りました。

例えばWセミナーの論文模試において総合で8位、択一模試では総合で5位、辰巳小教室では2位、日曜答練で30位程度・・・といったように成績は一気に上がったのです。

そして2つの塾に通い、司法試験で合格を手にすることができました。

仕事を辞めてから合格までの期間はおよそ2年間ですから、その当時では私は「最短」で司法試験合格を手にした人達の中の1人だと思います。

其のあと、私は吹田の塾の生徒に教える立場にも立ちましたが、勉強の方法論を個別指導した生徒達は全員司法試験に受かることができたのです。

最速で成果がでる!超勉強法

③弁護士としては日本全国における弁護士が取り扱う事件数の10倍以上のペースで仕事をこなしてきました(『日本弁護士白書』資料に基づく)。

その結果弁護士登録をしてからほんの何年かで県内の弁護士でただ1人高額納税者番付に毎年のように名前が載るようになりました。

しかし、がむしゃらに働いていたわけではなく基本、残業なし、週に2日は休日をしっかりとっていたのです。

④1人娘が小4の3学期に入った頃私たちは東京に引っ越します。

娘には中学受験に当たり私の方法論に基づいて勉強させたところ、小6の四谷大塚の模擬試験で「偏差値72」を2度とり、最後のテストの順位は56位でした。

娘は東京の「女子御三家」と呼ばれる学校をはじめ受験した全ての学校に受かることができたのです。

ここで一言申上げておきますが、私は娘の自慢をしているのではありません。

このような事を敢えて記したのは「この本でお教えする方法論を使えば、このくらいの成績アップは夢ではない」ということを一つの証としてお伝えしたかったからにすぎません。

前回の記事はコチラ→【教科書を使った方法

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