■好奇心旺盛で、実行力抜群だったA君の話
生活体験を豊かにする中で、忘れてならないことがあります。長い目で見ることの重要性です。
これに関しては、私が吹田の塾で教えていたA君の話をしましょう。
長い間、塾の講師をしていますと、忘れられない子が何人かいます。とはいうものの、教え子は誰一人として忘れてはいないので、正確にいえば「忘れられない」というより、「とりわけ印象が深い子」と言ったほうがいいでしょうか。A君も、その一人でした。
A君は成績のいい子でしたが、いわゆる「頭がずば抜けていい」という感じはしませんでした。
しかし、好奇心旺盛で、その実行力が群を抜いていたのです。
六年生の夏休みの宿題に彼が選んだのは、「うみうし」の研究でした。
海の岩場にいる、ちょっと珍しい生き物です。
「うみうし」を研究するためには、海に行かねばなりません。A君の家から海までは、優に二、三時間はかかります。A君は母親を説得して一緒に海に行ってもらい、夏休みのまるまる三日間を炎天下の浜辺で過ごしました。
その研究は、むろん立派なものでした。
また、A君は学校の活動でも実行力を発揮しました。児童会の会長に立候補して次々に企画を実現したのです。吹田の塾でも目立つ子でした。
それだけでなく二学期には凧に熱中して、新年の凧揚げ大会には自分で作った立派な立体凧を持ってきました。
そして、ここがたいせつなのですが、このときA君は国立大付属中と私立中の両方を受験する準備を進めていたのです。我々塾講師の間でも話題の子でした。
受験準備の真っ最中に、A君はさまざまなことに挑戦したことになります。
そのせいかどうか、彼は第一志望の私立中に落ちて、国立大学の付属中に入りました。
しかし、その後、彼は別のトップクラスの国立大付属高校に入り、新入生を代表してあいさつをしました。
そして、現役で東大の理Ⅰに合格したのです。
■「テストによって測ることのできない力」こそ
さて、人間の能力とか実力には、「テストによって測ることのできるもの」と、「できないもの」があります。
どちらがたいせつかというと、実は両方ともたいせつなのです。
しかし、どちらか一つだけということになると、私は「テストによって測ることのできないもの」を選びます。
それは、たとえ塾のテストの点数が悪くても、「テストによって測ることのできない力」を持った子なら、それをいつかは克服することが可能だからです。
事実、小学生のときはテストの点数が悪くても、あとになって伸びていった子は大勢います。
私の塾講師の仲間である先生は、外国で講演をしたこともあり、数多くの著作を発表し、日本の教育界で「切れ者」として通っているたいへん優秀な先生ですが、小学校の成績は「オール1」でした。クラスでラストの成績の、ワンパクだったのです。
私の高校の友人にも、小学校のときは「オール1」に近い成績で、中学で学年一番になった人がいます。
むろん、こうした例は珍しいでしょう。しかし珍しくはありますが、探せば結構あるものなのです。吹田にある塾でも何人も見てきました。
ですから、「テストによって測ることのできない力」を持っている子なら、多少ワンパクでも、私は大丈夫だと思っています。
むしろ、逆の場合が問題なのです。
つまり、「テストの点数がいい子」でも、「テストで測ることのできない力」がない子が心配なのです。
テストの点数ではカバーできないものが、世の中には数多くあるからです。
近年、企業などで「成績はいいが、他に何もできない”指示待ち人間”」が問題になっていますが、まさにこれです。塾でも自分から答えない子がいます。
では、「テストによって測ることのできない力」とは何なのか。
それこそが、体験なのです。
体験することによって、身についていく能力です。
たとえば、目的を達成するまで工夫する力です。さまざまな人間関係の中で、我慢しなければならないこともあるという体験です。あるいは、自分でやろうとしたことが達成できたときの喜びであり、思うようにならなかったときの悔しさです。
このような力は、塾のテストによっては身につきません。一つ一つの体験の中で、身につけていくものなのです。
ですから、子どものそのときそのときの体験は、たいせつにしなければなりません。
小学校入学のときの感動、初めて二五メートルを泳げたときの嬉しさ、あるいは運動会の徒競走でビリになった悔しい思い―。
こうしたことは、あとになってやり直すことはできません。そのときしか味わえないことです。
A君に芽生えた好奇心を大事になさり、さまざまなことに挑戦させ、体験を豊かにしたA君のお母さんは立派だと思います。A君が実行力をいかんなく発揮して、メキメキ力を伸ばした理由もここにあるのです。
「体験する」ということは、そこに必ずや発見があるということです。多くの情報を得られるということです。そして、「心の中で、さまざまな対応があった」ということなのです。
子どもの好奇心を大事に育て、多くの体験を、それも心に残る素晴らしい体験を子どもに与えていけば、心豊かな子に育ち、いまはそれが表れなくても後々に素晴らしい力となって発揮されるものなのです。
前回の記事はコチラ→【生活が豊かの中で体験をする子ども】