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「丸暗記は必要ない」なんてことはありません。

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私が「丸暗記することも大切だこ」と言うと、ほぼ間違いなく出てくる反対論がいくつかあります。

その主なものを2つ例に取り上げてさらに反論したいと思います。

反論①検索機能が広く出回っている今日、丸暗記の必要性はない

よく「近年はインターネットで検索すればすぐに欲しい情報を調べることができるので、いちいち覚えなくてもよい」と言う人がいます。

いや、そのような人がいるのは今現在だけではありません。

私が大学生の頃も行政法の講師であった塩野宏先生が「(文献や資料が)どの引き出しに入っているかという事さえ把握できていれば、

その内容まで丸覚えしなくてもよい」と仰っていました。

それと同様のことなのではないでしょうか。

当然、大学教授のように専門の分野についての尋常でないくらいの量の分検をあちこちから探し出してこなければならない職業をされている方は

全てを丸暗記しようなど大変なことです。

しかし私たちのような実務職やサラリーマンが必要最低限の物事を丸覚えするのはそれとはまったく次元の違う話です。

例えばあるミーティングで、ある会社の財務諸表が資料として配布されたとします。

その時それを流し読みして、その会社の財務内容をざっくり把握できる力は仕事をスムーズに進める為に必ず必要なものでしょう。

まさか勘定科目や財務分析をするためにノートパソコンで検索するなどということをしていたら、絶対に仕事ができないんじゃないかと疑われてしまいます。

私のような塾の講師でも授業で、当たり前に知っていなくてはならない知識を知らないことは塾講師として許されないことです。

反対に「こんなことまで記憶しているのか?」とびっくりされるようなことを、書面なしでスラスラ申し述べれば、

前述の田中角栄元首相の話ではありませんが、相手方の弁護士が敬意を表すのは間違いありません。

塾の講師という立場から見ても、どんな問題でも、スラスラと答えることができたら、生徒からの信頼も得られるのではないかと思います。

いくら検索したらよいとは言っても、最低限の知識が初めから頭に入っていなければ、インターネットを用いた検索そのものすら不可能だし

もしできたとしても多大な時間を要してしまうはずです。

なぜならインターネットで単語検索をするとそれなりに使用頻度がある言葉のケースだと何千、何万という膨大な情報が見つかるため

そこから最も適したものを選択するのはとても大変なことです。

例えばこの本を執筆中に私の名前「荘司雅彦」をGOOGLEで検索したところ、1万6400件もでてきました。

私の名前ですらそうなのですから、もっとよく知られた単語であれば推測できるでしょう。

反論②知識だけという時代は終了した

社会学の大御所であるダニエル・ピンク氏は著書『ハイコンセプト』(三笠書房)の中で「従来の知識はどんどんアウトソーシングされていき

デザイン力や物語力などより高次元な脳力を持った人間が成功する時代になる」ということを言っています。

しかしそれは「丸覚えした事柄や詰め込んだ事が全て要らなくなってしまうということを意味しているのでしょうか?

ピンク氏はそういうことが言いたいのではないと私は思います。

頭の中に入れた知識や経験が、脳内でつながっていくことで、行ってみれば「化学変化」のようなものを起こし

新たな発想が生まれ出るのだと私は思います。

美しいデザインを描き出したり、感動を呼ぶストーリーを作り出す才能はその人の頭の中にあるたくさんの情報が繋がっていくことによって

ある一つの形となって創り出されるのでしょう。頭に何も入っていなければ、何も出てこない。

こんな当然の事実に目を向けられないことが大変残念です。

つまりどれだけ検索機能が向上しても丸覚えしなければならない事柄は非常に多くあるのです。

「丸覚えした、全く異なる分野の物事が」言ってみれば化学変化をおこして、最新のものを作り出すのです。

「丸覚え」そして脳のニューロンの数が増えれば増えるほど、所謂「脳力」が強まることは間違いありません。

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