「傷口を舐め合う友人同士」は勉強友ではない
私はその頃にしては滅多にないくらい短い期間で、しかも塾での成績も相当上位を保った状態で司法試験に受かりました。そうなった大きな原因は黙って1日12時間以上も勉強し続けたことと共に、それを助けてくれたかけがえのない友人たちがいたからだと考えています。
私はその頃の司法試験を受験する者としては滅多にいない「営業職」経験をもつ元サラリーマンだったこともあってか、
予備校におけるゼミなどを通して意外に簡単に人とのつながりを持ち、
多くの友達を作ることができました。なかでも東京大学の図書館に毎日来る仲間達とは、
ランチの時に「Q&A」をしたり、役に立つ知識を教え合うなどして真面目に助け合いました。
そして何年か経ってから図書館での仲間達が全員合格するという快挙を上げました。とても建設的な集団だったといえるでしょう。
しかし、それとは反対に司法試験の受験においては、業界でよく使われる言葉「傷口の舐め合い友達」が多くいました。
彼らは受験で不合格する度に、法務省のやり方を非難したり、「出題自体が間違っている」と不満を言ったり
ととにかく自分達が間違っていないと責任を法務省になすりつけたがる人間の集まりでした。
確かに不合格が判明したとき「あなたが不合格だったのは、能力が足りなかったせいじゃない。
法務省が若い人達に解きやすい設問を作成したせいだ。
本当だったらあなたはとっくに合格していたはずだ」と言ってもらえれば一時的に気持ちが安らぐでしょう。
しかしそんな安っぽい言葉で自分自身を癒すのは、受験に落ちてしまった当日のみにしておくべきでしょう。
実のところ私も勉強を始めて10カ月経ってから受けた論文試験で不合格だった時はかなり心理的にダメージを受けました。
(サラリーマンを辞めて年をとっていたことと、たとえ10カ月とはいえ、毎日一生懸命努力してきたのに・・・という自負があったためです)。
そして、「この不合格は嘘だ!」と思ったり、数日後には結果は間違っていてあなたは合格でした。
というお知らせが法務省から届くのではないか」と本気で考えたりして、夜間に法務省や日比谷公園周辺を訪れたものでした。
そのときは2,3時間くらいは朦朧としながらうろついていたと思います。しかしそうしているうちに段々と正気を取り戻し
「(論文試験より先にある第一の関門である)択一試験で受からなかった皆はとっくに次の年の試験のために勉強を始めている。
今だけは落ち込んでいても構わないが、明日には気持ちを立て直さないと皆から遅れてしまう」
と思い込むように努力しました。そして次の日にはすぐに予備校の残念講座(?)に行ったのです。
試験が不合格であった時に辛いと思わないような人はいません。私がおしえる塾の生徒にもたくさんいます。
その辛さは受験回数とも関連性がありませんし、その頃の私のように「周りの受験生より年をとっている」などそれぞれの立ち位置によって辛さにも色々あるのです。
サラリーマンだった頃の私は名刺を提示すればどこへ行ってもそれなりの扱いをしてもらえる立場だったので
司法試験における浪人生となってからは、仕事を問われたり記入しなければいけないことがとても辛かったことを覚えています。
その状況がまた1年継続するのかと思うと「本当に俺はどうしようもない人間としか思われないのではないか・・・」
などとも考えました。しかしもう一度挑戦するのであれば、なるべく早いうちに心のスイッチを切り替えしなければ、来年の合格は期待できません。
落ちこぼれたちと友達になって試験の設問に不満を言いあって傷口を舐め合うなどもってのほかです。塾で見かけたら止めに入ります。
何故なら次の受験までの日にちはそうしている間にもどんどん減っていくのですから。
これは大学受験についても同様のことが言えます。模試で点数が良くないと、本気で諦めてしまいたくなるものです。
しかし辛い気持ちからさっさと復活して自分の苦手個所をしっかり見直さないと志望校に合格する道のりは遠くなっていってしまうばかりです。
辛い気持ちを持ち続けるなと吹田の塾では教えています。
決して「傷口の舐め合い」などというあまい誘惑に惑わされ、落とし穴に落ちてしまわないよう気を付けましょう。
前回の記事はコチラ→【助け合いは教え合いと一緒】