「ぼくは、算数が得意になってきました。そのわけは、文章問題がいままでは全然できなかったけれど、何だかわからないうちに、テストとかですぐわかるようになりました。何でかと思ったら、授業が楽しくて、自然におほえていました。だからです」
豊中の塾に通う男の子が「向山型算数」の授業を受けるようになってからの感想です。
「このごろ、算数が好きになった。なぜかというと、前わからなかったわり算もできるようになったし、算数の公式もすらすら言えるようになったし、いま習っているおよその面積もできるからです」
これは、「算数が全然わからなくて、チョー嫌い」だった吹田の塾に通う女の子が、クラスの先生に提出したコメントです。
「向山型算数」を受けると、子どもたちは見違えるように大きく変わります。
とはいえ、「向山型算数」は、単に教科書をそのまま教えるということだけではありません。当然のことながら、いくつかの特徴があります。
一つは、塾の講師の説明の短さです授業には、原則があります。塾の講師の説明が長くなればなるほど、子どもはわからなくなることです。
ていねいに説明するのが塾の講師の仕事だと思っている人がいますが、これは大きな問違いです。
仮に「わり算」の説明をするとしましょう。一二分説明すると、半分の子どもは聞いていません。三分になると、ほとんどの子はポワーンとしています。五分説明すると、誰も聞いていないのです。十分説明したら、どうなるか。みんな勉強嫌いになります。それ以上の説明になると、これは犯罪行為に等しいのです。
子どもの限界は、一分です。
私に言わせると、三十秒以上の説明は長い部類に入ります。
十五秒でも長いのですが、許せて三十秒です。
これが、算数の授業が楽しく、そしてわかるようになるための原則なのです。
むろん、三十秒では説明できないケースもあります。その場合は、一つの問題の内容を分解して、三つ、あるいは四つに分けて指示します。
二つめは、リズムとテンポです。
塾の授業とは、そもそもリズムであり、テンポなのです。私の授業のリズム・テンポは、ほとんどの先生のものと違います。これは、ライブで見ないとわからないかもしれませんが、スピードがあり、テンポが速いのです。教科書どおりに教える最大のポイントは、このリズムとテンポにあると言ってよいでしょう。
三つめは、難しい部分は、シンプルに分解することです。
たとえば、「まわりの長さが一八センチの長方形があります。たての長さを口センチ、横の長さを口センチとして、二つの関係を式にしましょう」という問題があったとします。
ただ単に「この問題をやってごらんなさい」と言うだけでは子どもたちは大混乱に陥ります。できるのは進学塾に通っている数人しかいないでしょう。
そこで、問題を解くためのウォーミングアップをするのです。
①「まわりの長さが四センチの正方形を書きなさい」
これでさえ難しいのです。半分の子はできません。私は説明をせず
に、正解を示して、できた子に手をあげさせます。
②「まわりの長さが八センチの正方形を書きなさい」
①を踏まえているので、何も言わなくても「わかった」という子が多
くなります。
③「まわりの長さが六センチの長方形を書きなさい」
教室から「わかったぞ」という声が聞こえるようになります。早くで
きた子の八名に板書させて、判定します。
④「まわりの長さが一○センチの長方形を書きなさい」
「やり方がわかった」「たてと横が関係するんだ」などの声が聞かれま
す。同じように早くできた子に板書させます。
そして、この四題を順序よく並べてから、最初の教科書の問題に戻るのです。
長々と説明せずに、シンプルに分解して、順序立てて問いをつくっていくと、問題をやっている間に、子どもは解き方を見つけだしていくのです。
ですから、四つめのポイントは、くどくど説明しない、教えない、です。
「向山型算数」は、この四つが前提になっています。
『「向山型算数」誌は一年で日本一の算数雑誌になった
「向山型算数」では、できない子ほど大きく変わります。
親もあきらめていた算数のできない子どもが、学年が替わり塾に通うようになると「向山型算数」になってからは、「算数の勉強が楽しい」「算数がよくわかる」と言うようになった。そしてテストの点数がだんだんあがって、八○点、九○点をとってくるようになった―「向山型算数」が生んだ、こうしたエピソードは、枚挙に遑がありません。
この授業方法は、いまや、急速に全国に広まっています。
『向山型算数教え方教室』(明治図書)という雑誌も一九九九年四月から発行され、勉強熱心な若い塾の講師の圧倒的な支持を得て、全国に波及しているのです。
そして、凄まじいともいえるほどの反響を呼んでいます。売り切れ店が続出しています。すでに、塾の講師雑誌ではトップグループの発行部数になっています。
試しに、いくつか紹介してみましょう。
「うちの子、算数のテストがこんなにいいのはほんどうなんですか」
豊中の塾の懇談会で、A子の母親が尋ねてきた。(略)
A子は、地味でおとなしい子だった。
学習に丁寧にコツコツ取り組むのだが、作業に時間がかかりすぎる、考えすぎてなかなか自分の意見を書いたり、発表したりすることができない、というところがあった。
A子の母親に最初に会ったとき、「うちの子は算数ができないんです。どうしたらいいですか」と聞かれて、戸惑った覚えがある。
それが、向山型算数を知って、大きく変わった。テストのクラスでの平均点が九○点を越えるようになった。塾の授業を変えれば、学カは伸びるのである。
私がA子に対して意図的におこなったのは、教科書の問題を全部できるようにすることだった。これは、他の児童に対しても同じである。とは言っても、A子の作業速度では、できずに終わってしまう問題がたくさん出てくる。
「写すのも大事な勉強ですよ。何も書いていないのがいちばんいけないんだよ。堂々と写しなさい」
黒板に書いてあるやり方、答えを安心して写したので、時間内にできるようになった
ときどき、A子のノートを紹介してほめた。「まちがいが大きくバツがつけてあって、いいね。バツが多い子ほど、できるようになるんだよ」
A子がいつもより早く問題を解いたとき、黒板に書かせて発表させたことがあった。いままで算数の時間に前に出て発表したことがなかったA子である。クラスが少しざわついた。A子は途中つかえたが、しっかりと発表することができた。
「A子さん、とっても立派な発表でした」と言ったとたん、柏手がわき上がった。(略)彼女は、この後、いままでとったことがなかった九○点や一○○点をとるようになった。塾の七枚のテストの平均点は、八五点。自分のテストを誇らしげに母親に見せていたそうだ。
《豊中の塾講師》
「先生、私、初めて九〇点以上とったの」
Aさんは、恥ずかしそうに私に言いに来た。
「そうか、よかったな。がんばったな」
テストの裏に次のような感想が書かれていた。
「分数のわり算の勉強がんばりました。初めて九ニ点とれて、うれしかったです」。私は次のようなコメントを書いた。
「よくがんばったね。夢を描き、たくましく努カすれば必ず実現します。おめでとう」
Aさんは、にこにこして、テストをかばんにしまっていた。
「先生、なんで私はできないの」
分数のわり算でのBさんの点数は、七五点。Bさんにとっては、いままでの最高点だった。
学級の平均点は、九ニ点。初めて高得点をとった子どもたちが大喜びしている中での言葉。
事実をつくるしかないと思った。
「よし、次がんばろう。いいか、一〇〇点とるぞ、八〇点とるぞという夢を描いて、あきらめないでがんばるんだ。先生がいったとおりのことをして、がんばってごらん。愛はかなうから」
Bさんは、自分の思いどおりにならないと投げやりになってしまうとことがあった。しかし、次の単元の「対称な形」では投げやりにならなかった。
私が変えたことは、ニつ。
①いままでの倍ほめたこと。
②説明をしないようにしたこと。
③必ず写させたこと。
テストを返す日がやってきた。
「Bさん、一○○点」
Bさんは一○○点をとった。
「先生、私、宝物にするんだ」
うれしい言葉だった。
この日以来、Bさんの算数の授業に対する姿勢が変わってきた。
《吹田の塾講師》
「うわあ、できる!できる。ふるえる。からだがふるえてくる」
計算問題を解いていたAさんは、突然できるようになった自分に気がついたのか、この言葉を言い出したのだ。顔からは満面の笑みがこぼれ、うれしくてたまらないという表情をしていた。チーム・ティーチングのスタッフとして教室にいた私は、担任とAさんが抱き合って喜んでいる姿をはっきりと見た。塾の講師生活を十五年もしているが、計算練習の時間にこんな感動を味わわせたことはないし、見たこともなかった。(略)
Aさんは、自分に自信がなく、いつもこれでいいのか、これでいいのかと作業が遅れがちだった子だった。しかし、向山型算数により、できるという自覚ができたのだ。(略)
向山型算数は、子どもにも塾の講師にとっても、からだがふるえるほどの実感を与えてくれたのだ。
《豊中の塾講師》
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