では、これまでの算数の授業とは、どういうものだったのでしょうか。
これまでの算数の授業の方法というのは、多くは理論から生まれました。
一つは、教科書批判から生まれた方法で、計算の構造を水道に見立てたことから「水道方式」といいます。もう一つは、外国の数学者ポリアが大学生用に示した「課題解決」のステップです。
「水道方式」をおこなう教師の多くは、教科書を使わず、プリントを持ち込みました。この「水道方式」では進度が遅れ、落ちこぼれが続出しました。新聞記事になったことも一度や一度ではありません。
理論が悪いのではなく、それを「なま」で教室に持ち込み、授業の工夫をないがしろにした教師の責任なのです。
もう一つの「課題解決」型も授業にプリントを持ち込みますが、そのひどさは目にあまります。
たった一つの問題を、なんと一時限かけてやる――つまり、四十五分かけてやるのです。
一題の問題を、です。
たとえば、「38+24」です。これを、十五分間、いろいろ考えさせます。
できる子は一分でわかり、できない子は授業が終わってもできません。
十五分たつと、話し合いをさせます。気のきいた子だけがしゃべるという、つまらない話し合いが、ただ延々と続くのです。
その結果、どういうことが起こるのか。
①練習問題をする時間がなくなる
②授業時間が足りなくなる
そこで、授業時間が延びたり、山のような宿題が出されたりします。
それでも、「できない子は、できない子」のままです。五点、一○点しかとれない子は、相も変わらずそのままの状態です。
この「課題解決」型授業が、「算数嫌い」をつくっていると言っても過言ではありません。
しかも、小学校の低学年から、こうした授業がおこなわれているのです。
あきれて、ものが言えません。
「算数の研究をしている学校」の多くは、このやり方です。教科書を使いません。ノートもほとんど書きません。
「課題解決」は、基本を学んでからやるべきです。
小学校は、紛れもなく基本を学ぶ時期です。
そして小学校の基本は、教科書の内容なのです。
まず、教科書に示された問題ができるようになることです。
それをやらないから、教室はグチャグチャになるのです。
近年、問題にされている大学生の数学能力の低下の原因の一つは、課題解決学習にあると私は思っています。
算数の教科書を使わずにプリントでやる授業は、最低・最悪の授業がほとんどです。
「同山型数授業はわかる授業を目指す中から生まれた
「向山型算数」は、「できない子」をできるようにさせるだけでなく、「できる子も同じ時間に熱中して取り組める授業をする」努力を続けてきた結果、生まれたものです。
つまり、塾の講師の算数授業の実践から生まれた授業方法です。
具体的にいえば、
①できない子をどのように指導するのか
②早く計算ができてしまった子をどうするのか違う
③練習間題をどのようにするのか
④授業の始めをどうするのか
⑤ノートチェックをどうするのか
こうしたテーマに一つ一つ向き合い、すべてを満たす授業を模索し、工夫する中で、できあがったものです。吹田の塾で効果があった結果です。
評価の基準は、クラスの子どもたちであり、子どもの事実のみを基準にすることで構築されています。
つまり、もっとも近道で、確実な授業法なのです。
この方法ならば、授業時間を延長させることもなく、居残り勉強をさせる必要もありません。学校で決められただけの授業時間で、一○点、二○点しかとれなかった子が、七○点、八○点をとるようになるのです。
しかも、クラス全体の算数の力が急上昇し、クラスのほとんどの子が算数を好きになるのです。
前回の記事はコチラ→【多くの算数が苦手な子どもには原因がある!】